市民向け「わかりやすいお葬式セミナー」in 鹿児島市  6月の第1回に引き続きこの10月28日(日)に第2回を開催!!!

  • お葬式の意味と意義・・なぜ人はお葬式をするのか?
  • 供養とは何か?・・・戒名やお布施の解明やその意味は?
  • 日本人の心のふるさと(ビデオ観賞)・・生活の中の習俗を見る
  • 事前のこころづもりで安心を得るために・・ノートに書いてみる
  • 日時:2007年10月28日(日)午後1時〜3時
  • お問合せ:099−247−1457(吉田葬祭セミナー係)

市民向けお葬式セミナー「これからのお葬式を考える」in 潟上市/秋田県  秋田県内市民セミナー初参上!!

さて秋田県内でのお葬式セミナーは、8月にご近所の方を対象にしたお話をきっかけに、いよいよ本格的なセミナーを開催する運びになりました。本当は県内全域からお集まりいただきたいのですが、今回は同潟上市内天王地区に今月オープンする貸し葬祭ホールのオープニング記念として潟上市男鹿市に住む市民の方対象に講演会を開催いたします。

さて今回の開催は首都圏や地方都市での話ではなく、むしろ古い習俗文化が残り、自宅での葬儀が多い地域での開催で、お葬式の本来の意義や意味から、葬儀の本来のするべき場所は?まで・・皆さんとご一緒に色々と話を進めていきたいと思います。

  • 日時:10月23日(火)午後2時〜4時

-講師:二村 祐輔氏(フタムラユウスケ)

  • プロフィール:日本葬祭アカデミー教務研究室代表、葬祭カウンセラーの第一人者。TV・新聞雑誌などのマスコミでもコメンテータとして多数出演。著書に「自分らしい逝き方」(新潮社)など数冊。詳しくはこちら
  • 場所:タウンホール天王(潟上市天王字二田222-1)
  • 参加無料。事前お申込不要。
  • ホールに関するお問合せ:0120−78−4044

(タウンホール天王まで)

山梨県笛吹市で市民向けお葬式セミナー開催!!新セレモニーホール「ロゼア笛吹」オープン記念

だれもが一度は通る道、お葬式。見送る人、見送られる人それぞれの思いはあるけれど、いざとなるとだれもが迷ってしまうお葬式や供養の本来の意味や意義を皆様とご一緒に今一度考えておきたいと思います。

日曜日ですので、お休みのサラリーマンや主婦の方まで、全国各地でお年寄りの方からも大絶賛の判りやすいお話ですので是非この機会に聴いておくことをお勧めいたします。

尚、当日は会場となるホールのオープニングイベントを開催しており、お子様連れの遊びの広場から、石和温泉を楽しむ足湯、屋台や豪華景品の当る大抽選会まで数々の催し物が用意されていますので、セミナーだけでなく、ご参加いただけるようです。(9:30〜15:30)

  • 日時:10月21日(日)10:00〜11:00
  • 会場:ロゼア笛吹 ロゼアホール(笛吹市役所御坂支所付近)
  • 講師:二村祐輔氏(日本葬祭アカデミー教務研究室代表)

詳しくはこちら

  • 参加無料。事前申し込み不要
  • お問合せ:055-262-2806(秋山)

セミナー・講座・講演会開催予定主催者様へ

  • 年内は、上記公開セミナー以外も含めスケジュールは大変込み合ってきております。来年1月〜3月の開催予定の場合はお早めに(年内に)日程ご予約ください。お問合せ先:03−5215−5767

日本葬祭アカデミーまで

この秋から冬も、全国各地で開催されます恒例のお葬式セミナー

今後の開催予定地のみをお知らせいたします。詳しくは主催者の発表を待って当ブログ内でもお知らせいたします。(行政・企業主催の地元市民向け一般公開セミナーのみを表示しております)

  • 10月 2日(火) 東京・中央区
  • 10月13日(土) 東京・府中市
  • 10月15日(月) 千葉・君津市
  • 11月 2日(金) 東京・日野市
  • 11月 5日(月) 千葉・松戸市
  • 11月 9日(金) 静岡・富士市
  • 11月 9日(金) 静岡・三島市
  • 11月14日(水) 静岡・伊東市
  • 11月15日(木) 千葉・柏市
  • 11月19日(月) 千葉・松戸市
  • 12月 1日(土) 東京・台東区
  • 12月 9日(日) 神奈川・藤沢市
  • 12月12日(水) 東京・多摩市
  • 12月14日(金) 千葉・船橋市
  • 12月18日(火) 千葉・船橋市
  • 1月29日(火) 東京・板橋区
  • 2月 2日(土) 東京・稲毛市
  • 2月 5日(火) 千葉・千葉市
  • 2月 8日(金) 秋田・潟上市
  • 2月21日(木) 千葉・船橋市

家族7人だけの一泊二日のお見送り「回顧録」

80歳を過ぎて闘病から帰らぬ人となった父。母と妹夫婦と、そして私の家族の7名で見送る家族だけのお別れ。遠い親戚の叔父も先日の見舞いで別れを済ませて、「最後は家族だけで納得のいくように見送ってやれ」と申し送りがあったので訃報を知らせるだけにした。父の古い友人にも後で手紙でお知らせだけにした。老いて移り移り住んだこともありご近所ともほとんど付き合いはなかった。

吉祥寺の自宅マンションでは出来ないので選んだ先は、自宅からは少し離れた上野にある宿泊型の家族葬専用施設。母が知り合いから評判を聴いて事前に見学していた葬祭館に、母の希望通り任せることにした。昨日の病院での涙がまだ乾かぬ本日の夕刻に、通夜と葬儀を兼ねた家族だけの水入らずのお葬式を行う。新潟に住む妹夫婦も今日仕事を早めに切り上げ駆けつけるが、都心でしかも上野なので便利は良い。

午後遅く家族と伴に自宅を出て電車で半時間ほどで上野に着く。夏の午後の暑い日差しを避けるようにして駅から歩いて葬祭館に向かった。館内で案内されたのは専用フロアのしゃれた洋風の大きなリビングルーム。まるでどこか南国にある別荘のリビングのようで、それでいて落ち着いたフロアである。その中央には棺ではなく、大きなベッドにやさしい顔をして眠る亡き父。傍にはひときわ大きい花瓶に上品な生花2束が飾られ、そしてわずかな宗教儀礼のための道具が並ぶだけ。シーンと静まりかえったその空間の中で、ここに来るときに聞こえた蝉のジージー鳴く音がなぜか今も耳にのこっており、田舎に居た頃の家の中に戻ったような錯覚さえ覚える。しばし冷たい物を飲みながらソファーで休息した。


中・高生の娘たちは、初めて体験する「家族の死」に、何か落ち着かぬ様子で代わる代わる祖父の枕の傍でじっと帰らぬ祖父の顔を見つめては、心配そうな顔をして戻ってくる。若い者なりに人の死を厳かに感じ取って悲しく切ないのであろうが、どのようにその感情を表してよいのか判らないのであろうか、それとも感性豊かにどこか遠いところに行ってしまったと感じとっているのだろうか。


夕闇がとっぷり迫る頃、お経が済み葬儀を厳かに終えた。父は特別信寺深い人ではなく、お墓も霊園なので当初は無宗教での葬儀も考えたが、宗教儀礼に代わる納得のいくお見送りの仕方が見つからなかったので、結局葬祭館に頼んで近くの寺のご住職にお経だけは上げてもらうことにした。ただし戒名は故人の希望により要らないという条件で。

葬儀の後は皆で仕出しの精進料理で夕食を済ませた。「美味しい」と妹の旦那に評判。家族だけのゆっくりした時間のなかで、アルバムを見たり、母が持参した父愛用のパイプを手にして亡き父の思い出を語り合った。看病で疲れていた母も含め、いつしか家族全員で伊豆に旅行に行ったときの思い出に華をさかせた。アルバムを見なくても孫といっしょに戯れる父の笑顔が私には鮮明に浮かんだ。

それから少しして、疲れている母は先にフロアの別室に寝かせた。妹夫婦と私たち夫婦は深夜まで飲み明かし、娘たちは傍で我われのたわいもない子どもの頃の話やバカげた話に面白そうに耳を傾けていた。父の死によってあらためて親子・兄弟そして家族の絆を感じ合うことができたような気がする。又、娘たちにも「身内の死」を囲む人々の思いや切なさを少しでも感じ取ってくれたのではと思う。

真夜中を過ぎ、亡き父の傍で我われも全員床に着き、最後の夜は家族ひとり一人のこころの中に深く沈んでいった。私は床についてからも忘れてしまっていた幼い頃の父との思い出が走馬灯のようにいつまでも頭の中で回っていた。

翌朝、館内で朝食を済ませた後、父の好きだったメロディを手配してくれたチェロ奏者の生演奏で聞き入った。風呂から父の鼻歌が聞こえた昭和のヒットソングやレコードでよく聴いていたクラッシックのメロディが朝の緊張した空気を和ませてくれた。病院でイヤホンを当て潤んだ瞳で繰り返し聴いていたあの最期の曲・・・チェロの低音弦の響きが私たちを包む周りのすべての空気を振動させ、父の「魂」をゆりかごのように揺さぶっているがごとく、私たちのこころの魂も震わせた。家族全員、最後の涙を流しながらいつしかお別れの曲を一緒に口ずさんでいた。今思い出しても実に感動的な場面だったように思う。

そして最後の曲のチェロの響きが消え去ろうしたとき、父の枕元に寄り添いトントンと父の体を2度軽く叩き母が囁く。母の最後のあいさつ―
「ありがとう、お父さん。長い間ご苦労様でしたね。もうゆっくり休んでくださいな。後は子どもたちが・・・」で途切れた。この後何を言いたかったかは聞かなくても私には判った。

いよいよ納棺、父が好きだった朝顔の花びらを皆で棺に納め、最後に母の手で愛用のパイプを顔そばに納めた。そして出棺。

日が高くなる前、早々で人気の少ない火葬場へと。棺が釜に納められる瞬間それまで静かに見つめていた娘2人が悲鳴のような声で泣きじゃくり、棺にしがみ付いて離れなかったことが昨日のように思い出される。そして再び暑い夏、新盆と一周忌が同時にやって来る。

  • これは都内に住むある家族の葬送の風景を喪主の方が描写した回顧録です。疎遠になった親戚や地域社会との関わりの中で都会ではごく一般的になった家庭環境ではあるが、この家族7人が最後の夜を伴にし、父親の死によって兄弟や親子の絆を確かめ合えた心温まるお葬式は、遺された者にとってこれからの新しい人生への第一歩になったに違いない。

「音楽葬」と「弔い」や古代葬儀との関係

最近、特に注目されている『音楽葬』というスタイルがあります。
生演奏を葬儀にとりいれて、故人を見送る葬送のスタイルですが、これが太古以来の葬儀の形である事をご存知の方は少ないようです。

一般に音楽は華やかなイメージがあるので、葬儀との違和感を持ち、そのために新しい葬儀スタイルと受けとられるケースもあるようです。ところが、この『音楽葬』は宗教や宗派を越えて行われてきた、長い歴史を持った葬儀のスタイルなのです。

 
バイオリンとチェロの二重奏(スペースアデュー提供)

『弔う』という言葉があります。この言葉の語源は実はその音楽葬の歴史を物語る言葉でもあります。太古の時代より、人が亡くなった時にはそのお墓に「弓」を「刺し」て音楽を奏で個人の魂を鎮め、追悼の舞をしたそうです。その様子、すなわち「弓」を「|」・・・刺す」が「弔」という漢字になったといわれています。
まさに、音楽が弔いの儀式の中でどれほど大切なものであったかを物語っています。

また、世界中の葬儀スタイルを見渡しても、音楽がいかに葬送の儀式の重要な役割を担ってきたかは明白です。ですから、音楽葬は時代や国を越えて人類に引き継がれてきた表現のツールであり、葬儀の原点なのかも知れません。

日本には、万葉の時代から葬儀に「魂ふり」という儀式ががありますが、これはまさしく鎮魂の歌を唱え、あるいは鎮魂の舞踏を行うことだったようです。


また、葬儀の音楽には、鎮魂という目的以外にも、ご遺族や参列の方たちの悲しみをサポートする側面もあります。生演奏からはアルファ波が発生し、悲しみに傷ついた『送る者たちの心』を癒し、おだやかにする手助けをしてくれます。故人の愛した音楽や個人の生きた時代の音楽で会場を満たす事により、人々の故人に対する思いをひとつにし、音楽とともにそれぞれのこころに思い出として納まる事も、故人に対する供養になります。

では、実際にはどのように音楽葬をとりいれていけばよいでしょうか?一般の仏式葬儀でも、生演奏をとりいれる事ができます。お経と生演奏?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、実際にとりいれてみると驚くほど、現場の雰囲気になじみます。ご遺族や参列者の方達の評判もなかなかのようです。無宗教の葬儀であれば、なおさら音楽はお経に代わる重要なな要素となるのかも知れません。
また、通夜、告別式以外でも、『偲ぶ会』などでも音楽は重要な役割を担ってくれます。偲ぶ会自体をコンサートホールで行うケースも最近は増えていますし、メディアなどで見かける著名な方達の偲ぶ会には、フルオーケストラがはいる事もしばしばです。一般の場合はそこまでの事はする必要はありませんが、たった一本のフルートの音色が、故人の葬送にどれだけ大きな役割を担うかは、体験した方達であれば実感されている事でしょう。

実際に仏式に生演奏をとりいれた遺族の方達からは『いれてよかった』『よい葬儀になった』『会葬者の方達からもよかったという声がたくさんあった』などの生の声もたくさんあがっています。

昨今、このように葬儀における音楽の重要性が見直されていますが、実際にはどのような事ができるのか?どのように手続きをすればよいのか?という事について、最近の音楽葬事情についてご紹介しましょう。

■生演奏をとりいれる際のチェックポイントです
音楽事務所について
葬儀専門のノウハウを持った音楽事務所に依頼する事
リクエストに対する対応能力がある事務所に依頼する事
楽器編成のバリエーションをたくさん持っている事務所に依頼する事

●演奏依頼について
選曲はできるだけ故人の人生にちなんだものを選ぶ事がポイントです。そのためには、遺族側の希望をできるだけしっかりと伝える事が大切です。好きな曲や好きな歌手などがあれば、それを曲目にいれるのもよいでしょう。
故人が楽器を演奏していた場合などは、その楽器を使った編成にするのも一案です。また、特に希望がなくても、故人のデータはできるだけ細かく正確に事務所に伝える事が大切です。
故人の生まれた年や故人の活躍した時代などの曲を演奏することで、故人の人生が鮮やかにクローズアップされます。葬儀専門の音楽事務所はそのあたりの対応には慣れていますので、必ず故人にふさわしい選曲や楽器編成を提案してくれるはずです。さらに、故人の職業や性別、趣味なども選曲の大きなヒントになりますから、そういうデータも伝えておくとよいでしょう。

また、細かい事がわからなくても、『静かなイメージ』『きれいなイメージ』『やさしいイメージ』など故人につながる漠然としたイメージだけでも、個性のある選曲のヒントにつながりますから、大枠のイメージを伝えるだけでもよいでしょう。さらに、原曲のイメージが『葬儀にふさわしい、ふさわしくない』はあまり気にする必要はありません。信頼のおける葬儀専門の音楽事務所でしたら、『どんなジャンルの曲でも葬儀の雰囲気にあった編曲』をしてくれます。楽譜がない曲でも、希望の楽器編成にあわせて、また葬儀のイメージに合わせた楽譜を書いてくれるので、故人のためのオリジナル演奏となり、なによりの供養になるはずです。

以上の条件を満たした音楽事務所はそれほど多くはありません。せっかく生演奏を希望しても、おきまりの曲しか対応できなかったり、特定の楽器しか使えなかったりでは、『音楽葬』の本来の意味をなしません。
大切なのは、信頼のおける葬儀音楽のプロに依頼するか、そういった音楽事務所と関係をもつ葬儀社を選ぶという事でしょう。

音楽葬に興味がある方、また音楽葬を希望する場合は下記まで。