家族7人だけの一泊二日のお見送り「回顧録」

80歳を過ぎて闘病から帰らぬ人となった父。母と妹夫婦と、そして私の家族の7名で見送る家族だけのお別れ。遠い親戚の叔父も先日の見舞いで別れを済ませて、「最後は家族だけで納得のいくように見送ってやれ」と申し送りがあったので訃報を知らせるだけにした。父の古い友人にも後で手紙でお知らせだけにした。老いて移り移り住んだこともありご近所ともほとんど付き合いはなかった。

吉祥寺の自宅マンションでは出来ないので選んだ先は、自宅からは少し離れた上野にある宿泊型の家族葬専用施設。母が知り合いから評判を聴いて事前に見学していた葬祭館に、母の希望通り任せることにした。昨日の病院での涙がまだ乾かぬ本日の夕刻に、通夜と葬儀を兼ねた家族だけの水入らずのお葬式を行う。新潟に住む妹夫婦も今日仕事を早めに切り上げ駆けつけるが、都心でしかも上野なので便利は良い。

午後遅く家族と伴に自宅を出て電車で半時間ほどで上野に着く。夏の午後の暑い日差しを避けるようにして駅から歩いて葬祭館に向かった。館内で案内されたのは専用フロアのしゃれた洋風の大きなリビングルーム。まるでどこか南国にある別荘のリビングのようで、それでいて落ち着いたフロアである。その中央には棺ではなく、大きなベッドにやさしい顔をして眠る亡き父。傍にはひときわ大きい花瓶に上品な生花2束が飾られ、そしてわずかな宗教儀礼のための道具が並ぶだけ。シーンと静まりかえったその空間の中で、ここに来るときに聞こえた蝉のジージー鳴く音がなぜか今も耳にのこっており、田舎に居た頃の家の中に戻ったような錯覚さえ覚える。しばし冷たい物を飲みながらソファーで休息した。


中・高生の娘たちは、初めて体験する「家族の死」に、何か落ち着かぬ様子で代わる代わる祖父の枕の傍でじっと帰らぬ祖父の顔を見つめては、心配そうな顔をして戻ってくる。若い者なりに人の死を厳かに感じ取って悲しく切ないのであろうが、どのようにその感情を表してよいのか判らないのであろうか、それとも感性豊かにどこか遠いところに行ってしまったと感じとっているのだろうか。


夕闇がとっぷり迫る頃、お経が済み葬儀を厳かに終えた。父は特別信寺深い人ではなく、お墓も霊園なので当初は無宗教での葬儀も考えたが、宗教儀礼に代わる納得のいくお見送りの仕方が見つからなかったので、結局葬祭館に頼んで近くの寺のご住職にお経だけは上げてもらうことにした。ただし戒名は故人の希望により要らないという条件で。

葬儀の後は皆で仕出しの精進料理で夕食を済ませた。「美味しい」と妹の旦那に評判。家族だけのゆっくりした時間のなかで、アルバムを見たり、母が持参した父愛用のパイプを手にして亡き父の思い出を語り合った。看病で疲れていた母も含め、いつしか家族全員で伊豆に旅行に行ったときの思い出に華をさかせた。アルバムを見なくても孫といっしょに戯れる父の笑顔が私には鮮明に浮かんだ。

それから少しして、疲れている母は先にフロアの別室に寝かせた。妹夫婦と私たち夫婦は深夜まで飲み明かし、娘たちは傍で我われのたわいもない子どもの頃の話やバカげた話に面白そうに耳を傾けていた。父の死によってあらためて親子・兄弟そして家族の絆を感じ合うことができたような気がする。又、娘たちにも「身内の死」を囲む人々の思いや切なさを少しでも感じ取ってくれたのではと思う。

真夜中を過ぎ、亡き父の傍で我われも全員床に着き、最後の夜は家族ひとり一人のこころの中に深く沈んでいった。私は床についてからも忘れてしまっていた幼い頃の父との思い出が走馬灯のようにいつまでも頭の中で回っていた。

翌朝、館内で朝食を済ませた後、父の好きだったメロディを手配してくれたチェロ奏者の生演奏で聞き入った。風呂から父の鼻歌が聞こえた昭和のヒットソングやレコードでよく聴いていたクラッシックのメロディが朝の緊張した空気を和ませてくれた。病院でイヤホンを当て潤んだ瞳で繰り返し聴いていたあの最期の曲・・・チェロの低音弦の響きが私たちを包む周りのすべての空気を振動させ、父の「魂」をゆりかごのように揺さぶっているがごとく、私たちのこころの魂も震わせた。家族全員、最後の涙を流しながらいつしかお別れの曲を一緒に口ずさんでいた。今思い出しても実に感動的な場面だったように思う。

そして最後の曲のチェロの響きが消え去ろうしたとき、父の枕元に寄り添いトントンと父の体を2度軽く叩き母が囁く。母の最後のあいさつ―
「ありがとう、お父さん。長い間ご苦労様でしたね。もうゆっくり休んでくださいな。後は子どもたちが・・・」で途切れた。この後何を言いたかったかは聞かなくても私には判った。

いよいよ納棺、父が好きだった朝顔の花びらを皆で棺に納め、最後に母の手で愛用のパイプを顔そばに納めた。そして出棺。

日が高くなる前、早々で人気の少ない火葬場へと。棺が釜に納められる瞬間それまで静かに見つめていた娘2人が悲鳴のような声で泣きじゃくり、棺にしがみ付いて離れなかったことが昨日のように思い出される。そして再び暑い夏、新盆と一周忌が同時にやって来る。

  • これは都内に住むある家族の葬送の風景を喪主の方が描写した回顧録です。疎遠になった親戚や地域社会との関わりの中で都会ではごく一般的になった家庭環境ではあるが、この家族7人が最後の夜を伴にし、父親の死によって兄弟や親子の絆を確かめ合えた心温まるお葬式は、遺された者にとってこれからの新しい人生への第一歩になったに違いない。